過敏性腸症候群(IBS)って何だろう?
絶対にミスが許されない大事なプレゼンや受験、冠婚葬祭など大勢の人前でのスピーチなどでは緊張から動悸がしたり手汗をかいたりと誰しも経験した事はあるでしょう。
ただこれは人間本来の身を守るための正常な反応で疾病に該当するような症状とはなりません。
ただ1度失敗するとまた失敗するんじゃないかとの不安や焦りが先走ってしまい、お腹の調子を崩してしまい下痢や便秘を引き起こしたり大腸の動きが活発になることでガスが発生し腹部膨張感や音が鳴る症状に至る事があります。
一般的にこの症状を過敏性腸症候群(IBS)と言い風邪や痛風といったような疾病と同じく列記とした疾病となり、治療する事が求められるのです。
ここではこの過敏性腸症候群(IBS)を体験したからこそ分かる辛さや誰にも打ち明けられなかった孤独感などを時系列で振り返り、闘病中に感じた事や心療内科ではどういった治療を受けたなど少しでも役に立つ情報を提供していきます。
- 体験者の情報
- 名前:佐々木 圭介(仮名)
年齢:41歳
性別:男性
病気歴:通算20年
職業:フリーライター
過敏性腸症候群のタイプ:ストレスからくるガス発生型
記事の目次
過敏性腸症候群(IBS)の発症
小学、中学時代は過敏性腸症候群(IBS)とも無縁で生徒会長に選ばれたりと、勉強や部活に励んでいましたが高校に入って数ヶ月した頃の授業中に起きた事がきっかけで過敏性腸症候群(IBS)の始まりを告げたのです。
当時はまだ原付免許を持っていなかったため毎朝6時に家を出て、15㎞の道のりを1時間かけて自転車通学で登校していました。
成長期でもありましたので3時間目を過ぎた頃からお腹が減りだし、静寂を切り裂くようなグーッというお腹の音が教室中に響き渡ったのです。
しまった、恥ずかしいと咄嗟に咳払いをするも、後ろの女子からはくすくすと笑い声が聞こえてきたのを今でも鮮明に記憶しています。
この出来事がきっかけとなり食事の量に対して意識するようになり始め、とにかく満腹になるまで食べるようになったり4時間目前には購買部で必ずおにぎりやパンを購入するような変化が生まれました。
元々性格的にも前に出るタイプでもなく些細な事を過大に心配する神経質である事は自負していましたが、当時はインターネットはおろか携帯も無い時代でしたので、過敏性腸症候群(IBS)などという病名を知る由もありませんでした。
そして今思い出してみても地獄のように思える辛い3年間の高校生活が始まったのです。
過敏性腸症候群(IBS)の辛い症状
過敏性腸症候群(IBS)の症状にも個人差があり下痢や便秘を繰り返す方もいますが、自分の場合はとにかく大腸内で発生したガスが移動する際に鳴る音を一番気にしていましたので、静まり返ったテスト中などはもう辛さを通り越してその場から逃げ出したくなるほどの悩みでした。
周りを見渡せば皆涼しい顔でテストを受けているのに自分だけはお腹の事ばかり気になって正直テストどころではなく早く時間が過ぎ去ってくれる事だけを考えていました。
顔面蒼白、おびただしい冷や汗、動悸も早まり時には手足が痺れたような麻痺に近い感覚を覚える事もありました。
度重なる中間、期末テストや全校朝礼のスケジュールを見ただけでも不安な気持ちに苛まれましたが、地元の同級生がいる手前退学や転入する事すらできず楽しい過去の記憶が掻き消されるほどの毎日が続きました。
当然成績は上がるわけも無く普通科でしたので就職も考えましたが、センター試験を控えるクラスに属していましたため流されるような安易な考えで大学進学を目指すことになったのです。
センター試験でも相変わらず過敏性腸症候群(IBS)との戦いでしたので満足な点数は取れず結果は国立、私立すべて不合格となり過酷で余りにも長く感じられた高校生活3年間にようやくピリオドが打たれたのです。
高校を卒業してからの過敏性腸症候群(IBS)との戦い
今振り返ってみればあの時就職していれば良かったと今でも後悔していますが、過敏性腸症候群(IBS)という病名すら分からぬまま予備校へ進学してしまったのです。
義務教育ではない事から当然授業には出席せず友人と遊ぶ機会が多く、過敏性腸症候群(IBS)から解放されたという少しの安堵感が生まれるようになりました。
一朗してなんとか私立の大学に一校受かりましたので、見栄や肩書きのためだけに入学したものの見知らぬ社会で多くの遊びを覚えたり夜間のアルバイトに就いた事などから、1年の前期を終えるまでもなく数ヶ月という短いキャンパスライフに別れを告げました。
仲のいい友人や親、兄弟の誰にも打ち明けていませんでしたので、両親も心配し地元の准看護学校の試験を受けてみる事を勧められました。
言われるがままに受験し、入学はしたもののここでも過敏性腸症候群(IBS)の症状は治まる事は無く1年を経過した頃に自主退学に至ったのです。
この頃からもう学業は無理と自分なりに楽な道を選択し派遣社員として県外で仕事をするようになったのです。
過敏性腸症候群(IBS)の治療体験
過敏性腸症候群(IBS)の事も忘れかけた30才になった頃このまま一生派遣社員で生活していくことに不安を覚え始めたので、失業保険を受けながらホームヘルパー2級やガイドヘルパーの資格を取得しました。
この事がきっかけとなり背水の陣の覚悟で人生最後の再度学業に挑むという転機が訪れる事になりました。
過敏性腸症候群(IBS)とはもう10年以上も前の事だしさすがに高校時代のような辛さは出ないだろうと自分に言い聞かせながら、昼間は働いて夜間学業に励む医療専門学校の作業療法士の夜間部に入学しました。
やっと掴んだラストチャンスなのでこの4年間に覚悟を決めて入学しましたが、入学式当日から過敏性腸症候群(IBS)の辛さを再度感じるようになったのです。
ここでようやくネットを活用し自分の症状を調べて見た事で、初めて自分は過敏性腸症候群(IBS)という疾患にかかっている事に気付かされたのです。
治療法も調べると心療内科が良いとの口コミや情報を得たので、覚悟を決めて地元の病院の心療内科を受診してみる事にしたのです。
医師から言われた診断結果は自分が思っていたとおり過敏性腸症候群(IBS)と診断され、決して治らない病気では無いと言われた事を鮮明に記憶しています。
その後個室に通され臨床心理士の指導のもと副交感神経を鍛えるトレーニングが開始され、就寝前に自主的に訓練を行い通学前に1錠服用する精神安定剤を処方されました。
服用後は眠気を伴うため一日の疲れも加わり睡魔との戦いでもありました。
診療内科での通院を続けながら何とか仕事と学業に励んでいましたが結局は夢叶う事無く退学し現在に至っている次第です。
まとめ、過敏性腸症候群(IBS)で悩んでる皆さんへ
過敏性腸症候群(IBS)の症状を長年経験し辛い過去を身を持って体験したからこそ誰よりも悩みは理解できます。
自分の場合は病名を知るまでに余りにも時間が掛かりすぎて人生で無駄な時間を多く過ごしてしまいましたが、過敏性腸症候群(IBS)は完治する病気ですので自分の未来のためにも勇気を持って1歩踏み出す覚悟を持ち、心療内科で受診してみることを切に願います。
この記事の筆者
佐々木圭介(仮名)
1974年生まれ。高校1年の時に過敏性腸症候群(IBS)を発症する。正確な病名を知ることなく予備校、大学、看護学校に入学したものの退学を余儀なくされ就職する。派遣社員として従事し主な作業内容は半導体のオペレーターや自動車部品の製造、検査など。派遣社員で5年ほど従事したものの将来に対する不安から介護の免許を取得しさらなる上を目指して医療専門学校の夜間部に入学する。しかし再度過敏性腸症候群(IBS)が発症したことで病名を初めて知ることとなり、意を決して心療内科に通院し副交感神経訓練法や薬の処方を受ける。通院しながら学業に挑むも前期の半年で退学。現在はライターとしてランサーズに登録し1年を迎える。タスク作業やライティング作業を中心に美容や健康、勤労などの記事作成を行なっている。